シンプソンズ・ファンクラブ・ブログ

「ザ・シンプソンズ」を日本で広めるために日本語吹替版のエピソードガイド、グッズを買えるお店の紹介、大平透さん使用のアフレコ台本の研究、等々を掲載しています。

シンプソンズファンからホーマーへ愛と感謝をこめて…

「ホーマーより愛と感謝をこめて‥‥」、そんなタイトルでファンクラブに届いた大平さんからのメッセージとともに開催が宣言された、「第1回シンプソンズファン感謝祭」から早10年。
そして、我らがジャパニーズ・ホーマー:大平透さんが天国に旅立たれてから、まもなく2年になろうとしています。(命日:2016年〈平成28年〉4月12日)

そこで今回は、今まで本ブログであまりご紹介していなかった、大平さんと我々ファンクラブメンバーとの想い出エピソードをご紹介しようと思います。
(大平さんの華麗な経歴については、以前ご紹介した記事をご覧ください)


まず、とにかく印象に残っているのが、大平さんの肩書きについて…。
2008年、ファン感謝祭を開催するにあたり、ご出演いただく吹き替えキャストの皆さんをどうお呼びするか、スタッフ間で話合いをしたことがありました。
これには、声のお仕事をされている方にもいろいろとスタンスがあり、舞台や映像のお仕事を主軸として、「俳優・女優」の仕事の一部として声の仕事があるという考え方と、声のお仕事を専業にしているから自分は「声優」だ、という考え方があるからです。
どちらもお仕事に対する熱い思いが溢れるプロとしての考え方であり、これには正解はないと思います。
ただ、大平さんのように、テレビ放送がスタートし、声の出演者となった人たちは、ほとんどが各放送局が結成した放送劇団や、新劇の役者さんであり、そもそも「声優」を目指してそれになった人たちは誰もいない時代で、その時代から声のお仕事をされている方の中には、「声優」という呼ばれ方を嫌う方もいらっしゃいます。

大平さんも、KRT(現:TBS)放送劇団のメンバーであり、テレビや映画(後に特撮「スペクトルマン」では、倉田室長役も…)に顔出しで出演されており、アテレコが認知されはじめ、自分が声優と呼ばれ始めた頃は、その肩書きに少し違和感を感じていたそうです。

しかし、後に雑誌やネットインタビュー等でも語られているように、スーパーマンテリー・サバラスの吹き替えで、「大平透」という名前を有名してくれたのは、間違いなく「声優」という仕事であり、自分はその仕事に心から感謝しているし、「声優」という肩書きにプライドを持っていると語られていました。

我々と出会ったときには、既に78歳だった大平さんですが、ファン感謝祭の打ち合わせやお誕生日会等々でご自宅にお邪魔している際にも、テレビ局や制作会社からお仕事のオファーの電話が頻繁に入り、自らスケジュール帳を開き、日程調整をしている様子を目にすることも多く、あぁやっぱり大平さんは声優界、放送業界の大スターなんだな、とその都度感じていました。
また、その数か月後にテレビで耳にするCMやナレーションはあのときのオファーのものかな、なんて想像したりしたのもいい思い出です。


約8年に渡りお付き合いさせていただいた大平さんから、納得のいくような声が出ず、レギュラーキャラの降板を申し出たんだ、というお話を伺った際には、とても寂しい気持ちにもなりましたが、番組スタッフ側の「このキャラは大平さんしかいないんです!」という熱い声と、ファンの思いに応え続けるため、降板宣言を撤廃し、亡くなられる数か月前まで演じ続けてくださいました。
常に我々シンプソンズファンのことも気にかけていただき、2014年5月に開催する予定で延期になっていた「第6回シンプソンズファン感謝祭」についても、「今はまだ無理だから待っててね!」と、ことあるごとにお声をかけてくださったことにも感謝の念に堪えません。


体調を崩されても、再び立ち上がり、心から愛する「声優」という職業を続けた、大平さん。
ファンクラブメンバーの1人が、「大平さんは幸せを運ぶせぇるすまんだったんだね」、そう話したことがありました。
放送業界にも視聴者にも60年以上、幸せを運び続けたココロのせぇるすまん、声優:大平透さん。

そんな偉大なスターに、愛と感謝をこめて…。