シンプソンズ・ファンクラブ・ブログ

「ザ・シンプソンズ」を日本で広めるために日本語吹替版のエピソードガイド、グッズを買えるお店の紹介、大平透さん使用のアフレコ台本の研究、等々を掲載しています。

【追悼】さよならホーマー:大平透さん

2016年4月12日(火)ホーマー・シンプソン役声優:大平透さん(86歳)が天に召されました。



2007年映画「ザ・シンプソンズMOVIE」の声優変更問題シンプソンズファミリーの声を守るために頑張ってくれたシンプソンズファンのために大平透さんからシンプソンズファン感謝祭を提案していただいたのをキッカケに私たちシンプソンズファンクラブと大平透さんの交流が始まりました。

「ファンの皆さんの声が届いたから、私は今回の仕事を受けたんだよ。

本当は、今後はホーマー・シンプソン役を降りるつもりだったんだ。

声優の仕事を長年やってきたが、こんなに嬉しかったことはない。

アフレコを始める前にファンの皆さんにどうしてもそれを言いたかった」




大平透さんとのお付き合いの中で、ホーマーとしてだけではなく、声優として、人として、優しさ・厳しさ・楽しさ・人の強さや弱さ・愛情などなど数え切れない程のお教えと思い出と感動を頂き、感謝をあらわせる言葉がみつかりません。


天国に呼ばれた大平透さんは、神様といろんな話をされているんじゃないかな?と思います。



もう、大平透さんさんのホーマーに会えないと悲しむシンプソンズファンのために大平透さんが生前に遺してくれた最後のプレゼントが5つあります。

大平透さんからの最後のプレゼントの1つ目をご覧下さい!!
『紙芝居・シンプソンズ東京へ行く!』

ニコニコ動画はコチラ→http://www.nicovideo.jp/watch/sm28651000


大平透さん、本当に本当にありがとうございました。

【追悼】大平透さんの経歴

・1929年9月24日生まれ


・1952年:クリスチャンの父親の勧めでオーディションを受け、キリスト教ラジオ「ルーテル・アワー」のアナウンサーでデビュー。アナウンサー講習会への参加や、大学での勉強と共に仕事を行う。


・1954年:フリーアナになり、ニッポン放送の制作プロデューサー兼アナウンサーとして活躍。



・1955年:TBS(当時のKRT)開局と共に同局が開設した放送劇団に倍率100倍のなか合格・入団、「まんが・スーパーマン(フライシャー・スタジオ制作)」テレビ初の日本語吹替えを行う



・1956年:同じくTBS(KRT)で実写版TVドラマ「スーパーマン(主演:ジョージ・リーヴス)」がスタート。4年間放映。



・1958年:TBS(KRT)の放送劇団が解散、フリーとなる。


・1961年:フジテレビ「恐妻天国(原始家族フリントストーン)」フレッド役シリアス路線からコメディ路線の新境地を開拓

シンプソンズにはフリントストーンネタが多く登場しており、シーズン4「モノレールの甘い罠」では、吹き替え版でも大平透さんがフリントストーンのテーマ曲の替え歌を熱唱しています!





・1963年:大平プロダクションを設立、同年、日本俳優連合の前身となる「協同組合日本放送芸能家協会」の創立メンバーとして参画。


・1966年:Pプロマグマ大使の悪の帝王ゴア役で声優+スーツアクターの二役に挑戦。最終回2話では大平透さんがアナウンサー役として出演、続くPプロ作品「宇宙猿人ゴリvsスペクトルマン」では公害Gメン(後に怪獣Gメン)の倉田室長として出演した。



・1967年:フレッド役(「フリントストーン」)のコメディ演技が高く評価され、タツノコプロおらぁグズラだどのグズラ役に出演、以後数多くのタツノコ作品に出演することになる

同年、日本テレビで放送が開始されたスパイ大作戦で指令のナレーターを務め、印象的なオープニング・ナレーションにより、以降ナレーター仕事やCMが激増する。

【1979 ウィルソン 10オール】




・1969年:タツノコプロハクション大魔王の魔王役が大ヒット。




・1975年:東映秘密戦隊ゴレンジャーでナレーターを務め、以降数多くの東映特撮ヒーロー番組に出演(「超力戦隊オーレンジャー」では皇帝バッカスフンドとして出演)することになる。

秘密戦隊ゴレンジャー」の次週予告で、なぞなぞを出題してちびっ子に大なぞなぞブームの火付け役となる。


・同年:FM愛知「FMバラエティー」内のコーナー「大平透の歌謡大作戦」のDJに。
↓1980年8月26日放送分

角川映画「メインテーマ」について語っているので1984年7月頃と思われる。



・1980年:協同組合日本放送芸能家協会が日本俳優連合に改称し理事として俳優声優の地位向上改善に尽力する。


・1982年:大平透声優ゼミナールを開校し後進の指導に教鞭をとる。


・1989年:笑ゥせぇるすまん」喪黒福蔵役は当初別の声優が決まりかかっていたが、キャラクターの絵を見て「私の名前は喪黒福造・・・おーほっほっほ!」と演じてみせたところ大絶賛となり見事に喪黒福蔵の役を務めることになる。



スターウォーズ」3部作の吹き替え版VHS発売に際し、ダースベイダー役を担当。以降のTV放送版のほとんどと、ソフト版ではすべてでダースベイダー役で出演する。

↑左:米国のダース・ベイダー役声優:ジェームズ・アール・ジョーンズ、中央:ダース・ベイダー、右:日本のダース・ベイダー役声優:大平透さん。日米ダース・ベイダー声優がそっくりなのは偶然なのか?!フォースの導きなのか?!



(↑2010年10月10日の小布施ッションにゲスト出演した大平さん。ベイダーの中に入っているのも大平さんです!ご自身所有のボイスチェンジャー付ベイダーマスクに、手作りのマント!)


・1991年:日本テレビで「スパイ大作戦」の続編新スパイ大作戦が放送される。24年ぶりに本編の指令テープの吹き替えを担当。


そして2012年:第4回シンプソンズファン感謝祭では・・・

指令テープのパロディとして、こんな豪華なアナウンスをしていただきました!YOUTUBE初公開です!!


・1992年:WOWOW開局と同時にキラーコンテンツとしてスタートしたザ・シンプソンズ」のホーマー・シンプソン役に!

シンプソンズの吹き替えキャストは全員オーディションであった中、大平さんのみ指名されてキャスティングされた。



・1994年:WOWOW「パパはグーフィーグーフィーのお隣さんにしてライバルのピート役で出演。以降放送されるTVシリーズや長編などでも引き続き担当(吹き替え演出はシンプソンズ同様、向山宏志氏)。
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・2000年:米国ハリウッドで「ザ・シンプソンズ」放送10周年を記念して10月27日〜29日の3日間、開催された「ザ・シンプソンズ・グローバル・ファン・フェスト」に自腹で参加!原作者:マットグレーニン米国ホーマー役:ダン・カステラネッタと邂逅。


サントリーC.C.レモンのイメージキャラとしてシンプソンズが起用され、CMへホーマー役で出演。2001年には、世界的な広告賞「ニューヨーク・フェスティバル」AME部門で日本初のグランプリを受賞する大ヒットCMとなり、2003年まで放送される。



・2001年:ハクション大魔王のスピンオフ作品よばれてとびでて!アクビちゃんハクション大魔王・おとたま校長役で出演。


・2004年:ザ・シンプソンズの国内放送局がWOWOWからFOXチャンネル。引き続きホーマー役を担当!
笑ゥせぇるすまん」で新人時代に脚本の一部を担当したアニメーション監督・大地丙太郎氏が担当する十兵衛ちゃん2 -シベリア柳生の逆襲-」にお弟子さんと共に出演。


・2005年:「スターウォーズ エピソード3/シスの復讐公開。ジョージ・ルーカスから「ダースベイダーの吹き替えはミスター・オオヒラだ!ミスター・オオヒラのダースベイダーが一番いい!」という指名があり、ダースベイダーの声を担当!(ルーカス・フィルムは吹き替えキャストが続投する場合でも、声が変わっていないかどうかのオーディションをするほどであり、これはかなり異例のことと言える)


・2006年:アクビちゃんに続くハクション大魔王スピンオフ作品アクビガールアバンナレーションで参加。10月には吹き替え50周年記念パーティーで司会を担当。



・2007年:第1回声優アワード功労賞を受賞




同年8月15日、劇場版「ザ・シンプソンズMOVIE」の日本語吹替え声優がTV版吹替え陣から芸能人に変更になり、大平透さんは「もう、ホーマーはやらない!」と考えていたがファンによる熱烈なリクエストが起こり。、20世紀FOXホームエンターテイメントからの要望もありDVD版でホーマーとして復活することとなった。

映画版「ザ・シンプソンズ」声優変更を考える会のBLOG→http://d.hatena.ne.jp/SERIZO/20080125/p2


同年、11月ミスタードーナツのCMにもホーマー役で出演。



・2008年:「ザ・シンプソンズMOVIE」のDVD・Blu-ray発売とTV版吹替え声優陣復帰に感謝して「第1回シンプソンズファン感謝祭」を主催。応援してくれたファンに感謝を込めて来場者500人全員にサインを書いた。




・2009年:CM:「日産・キューブ」(犬役),「日本振興銀行」(ハクション大魔王役),「キリン氷結」(NA),「KINCO・ノロキンクリア」(NA)出演。

大地丙太郎氏が担当するアニメNHK教育(Eテレ)「おじゃる丸」・TBS「夢をかなえるゾウ」(「笑ゥせぇるすまん」が放送された「ギミア・ぶれいく」のリメイク版とも言える「キミハ・ブレイク」内で放送)にも出演。


・2010年:NTTドコモのCMにダースベイダー役で出演、渡辺謙阿部サダヲ等と共演。2011年初旬まで放映される。



大平透さんのダースベイダーはSANKYO・GREEなどのテレビCMでも大活躍!


・2011年:花粉症対策広報CMやネットアニメにハクション大魔王役で出演。CMサントリー黒烏龍茶」喪黒福蔵役で出演、現在でも放送中。

サントリー黒烏龍茶のCMで大活躍中→http://www.suntory.co.jp/softdrink/kuro-oolong/cm/index.html


・2012年:タツノコプロ50周年記念作品「一発必中!デバンダー」で悪玉のボス・キングブル役で出演!



同年8月、ルーカス・フィルム公認で発売されたスター・ウォーズ・カーナビにダース・ベイダー役声優として出演。

大平さんのダース・ベイダーの声で「反乱軍の秘密基地(目的地)は、この辺にあるはずだ!」と誘導してくれます!


スター・ウォーズ・カーナビ詳細→http://www.dinos.co.jp/tv/starwars/


【追悼】大平透さんスーパーマン伝説!

大平さんが放送劇団に入団されたその年(1955年)の10月から、KRT(現・TBS)で放送開始となったのが、マックス・フライシャーによるアニメ「まんがスーパーマン。これが日本の吹き替え第一号と言われている(アテレコ第一号は「テレビ坊やの冒険」、外画吹き替え第一号は「カーボーイ・Gメン」で、どちらも56年放送)。


当時、海外ドラマはNHKでは字幕版、日本テレビでは録音版で行われていたが、KRT(TBS)は動画と録音のタイミングにズレが生じることを嫌い”生放送を生吹替え”していた。このため、「まんがスーパーマン」には大平さんの吹替え音源が存在しない。


英語版OPはこちら

(ダイソーでもDVDとVHSは売っています。ただし、吹替えは大平透さんではありません。)


「まんがスーパーマン」はフライシャー・スタジオ:Fleischer Studios(後にフェイマス・スタジオ:Famous Studios)によるもので、「フライシャーのスーパーマン」の通称で呼ばれる。


「まんがスーパーマン」で大平さんは、クラーク・ケント、スーパーマン、編集長、ジミー・オルセンロイス・レーンという、レギュラーキャラだけでも5役を、しかも女性役まで生放送ですべて演じられた


大平さんの記憶によると、日本に届いた「まんがスーパーマン」は全13話だったが、その中にはスーパーマンが日本軍と闘う話しが入っていたため放送を見合わせ、それを除く12話が放送された(これは「フライシャーのスーパーマン」が太平洋戦争まっただ中の1942制作であったため)。


【Japoteurs:新たな敵の出現 (1942)】

日本人のスパイがアメリカの爆撃機をハイジャックして東京に持ち帰るのをスーパーマンが阻止する話。


【Eleventh Hour:ギリギリの救出劇 (1942)】

日本の横浜(横須賀ではない)にある海軍基地に捕らえられたロイス・レーンを救うためスーパーマンが日本軍と闘うエピソード。軍艦を海に引きずり込んで沈めるシーンは圧巻。


「フライシャーのスーパーマン」について詳しくは→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3_%281940%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%E6%98%A0%E7%94%BB%29


そして翌年の1956年(昭和31年)、実写版のドラマシリーズ「スーパーマンの冒険」(主演:ジョージ・リーヴス)が日本に上陸。「弾よりも早く、力は機関車よりも強く、高いビルディングもひとっ飛び!…」は、あまりにも有名なオープニングである。




アニメに続き、このドラマ版にもクラーク・ケント/スーパーマン役として大平さんが起用され、放送が開始されるや否や日本でも爆発的にヒット!最高視聴率74.2%を記録するおばけ番組になり、最終回が放送された1960年までスーパーマンフィーバーが続くことになる。この際には、大平さんが5役ということはなくなったが、もちろん生放送での吹き替えであった(番組の生CMでは、大平さん自らスーパーマンの仮装をして宣伝を行った)。



番組後期になると生放送から録音に切り替わるものの、技術面の問題とテープが高価であったため途中で切ることが出来ず、セリフをとちってしまった場合にはまた頭から撮り直し、という録音スタイルであった。
まだテレビが高価で一般庶民には手が出なかった時代、力道山の試合、金語楼劇場・おとらさん、そしてスーパーマンの時間には銭湯からお客が消え、駅前広場の街頭テレビは人で溢れかえり、ヒーローの活躍を皆で応援した。そんな大平さんのスーパーマンがあまりにピッタリであったため、田舎のおばあちゃんが「最近の外人さんは日本語が上手だね〜」と話していた、というエピソードが大平さんの耳にも入ってきたのだとか。また、スーパーマン役の俳優・ジョージ・リーヴスが突然亡くなった際には、大平さんの元に大量の弔電が届いたそうだ。


ここまでの大ヒット番組となったスーパーマン、本家でスーパーマンを演じた俳優ジョージ・リーヴス同様、大平さん自身もどこへ行ってもスーパーマンと言われ続けることに悩み、自分のこれから可能性を広げるために再放送の出演を断りスーパーマン役を自ら降板した。


【スーパーマンの危機(残念ながら吹替えは大平透さんではない)】



しかし、それがいわゆる声の出演が増えたキッカケでもあったそうで、後に大平さんは、素晴らしい作品にブチ当たることのできて物凄くラッキーであると語っている。


ドラマ版の放送が終了してから20年が経過した1978年(日本では1979年)には、クリストファー・リーブ主演による映画版「スーパーマン」が公開され、こちらも大ヒット!1983年の地上波放送(日曜洋画劇場)の際には、マーロン・ブランド演ずるスーパーマンの父:ジョー=エル役を大平さんが吹き替えされた。

また、1979年日本で劇場版「スーパーマン(主演クリストファー・リーブ)」公開時に、キングレコードから発売されたTVドラマ版「スーパーマン(ジョージ・リーブス)」のレコードには、大平さんが再びあのTV版のナレーションを吹き込んだ音声が収録されている。


↑内ジャケットにはインタビュー記事も!詳しくは「クラウドベース(スペクトラム基地)を作ろう」さまのブログをご覧下さい。→http://blog.livedoor.jp/godzitoraman/archives/1232427.html?1348686119#comment-form



第2回・4回シンプソンズファン感謝祭の際、大平さんの胸元には、お馴染みのスーパーマンマークのバッジが輝いていた。

このことからも分かるように、大平さんにとってのスーパーマンは特別な存在なのである。


【追悼】大平透さんとタツノコプロの歴史

大平透さんがアニメ作品に数多く出演された日本を代表するアニメ制作会社
タツノコプロの作品について、大平透さんご本人から直接伺った話や本やインタビューなどを基にご紹介いたします。


アニメ製作会社:タツノコプロ(竜の子プロダクション)は、2012年10月に
設立50周年を迎え、2016年4月で設立54周年になります。


タツノコプロは、1962年10月に漫画家の吉田竜夫氏(「タイガーマスク(原作:梶原一騎)」など)、マネージャーで弟の吉田健二氏、そして末弟で漫画家の久里一平(「紅三四郎」など)氏が中心メンバーとなってスタートしたプロダクション。


当初はマンガ専門のプロダクションであったが、1965年に制作された『宇宙エース』より、アニメ制作会社としての歴史がスタート。


その後も、現在でも根強い人気を持ち、海外でも高い評価を得ている『マッハGoGoGo』や『ガッチャマン』シリーズなど、それまでの日本のアニメとはちょっと違うアメコミテイストの作品から、『みなしごハッチ』シリーズや『てんとう虫の歌』といった感動モノ、さらには『ヤッターマン』に代表されるタイムボカンシリーズ、『ハクション大魔王』などのコメディテイストの作品等々…幅広いジャンルのアニメを生み出し続けている!


・1967年:大平透さんの初タツノコプロ作品への参加はおらぁグズラだど』(グズラ役)



1961年から放送された『恐妻天国』のフレッド役を観ていた読売広告社の常務が「絶対にグズラは大平さんだ!」と指名、グズラ役に抜擢される。挿入歌『グズラ音頭』では、バート役・堀絢子さんと初共演しており、この曲は今でも大平さんのご近所の夏祭りで毎年流されているのだとか。
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・1969年:ハクション大魔王』(魔王役)

おらぁグズラだど』で、大平さんのコメディキャラを高く評価していた総監督・笹川ひろしさんによってキャスティングされた。

↑名曲ハクション大魔王OPのベース演奏は世界的にも絶賛されている。



↑ホーマーとリサによるハクション大魔王のコスプレ

シンプソンズタツノコ初のコラボ(非公認のためか?日本放送時はCMでだけ放送され本編のカウチシーンはカットされてしまっていた。)


シンプソンズのホーマー同様、ハクション大魔王はしゃべりっぱなしの終始ハイテンションのキャラであり、他の作品に増して全身を使って演じる必要があったため、1話収録後にはヘトヘトになられたそう。

これはいかに大平さんが収録にフルスイングで望まれているかがよく分かるエピソードです。
(※写真は2012年「第4回シンプソンズファン感謝祭」での生吹替え紙芝居のワンシーン)


これ以降フジテレビにおける日曜18:00〜18:30のアニメ枠(「未来警察ウラシマン」2クール目より土曜18:30〜19:00)で放映されるタツノコ作品に1984年「よろしくメカドック」まで連続出演され続けます。


・1970年:いなかっぺ大将』「大柿矢五郎役(キクちゃんのお父さん)

主人公・風大左衛門を自宅に住みこませて柔道の修業されている、彼の父親の友人で柔道家。「巨人の星」などの川崎のぼるさん原作。
いなかっぺ大将 ベストセレクション vol.1 [DVD]

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・1971年:カバトット』(カバ役)


フジテレビで翌72年まで、日曜を除く毎日、5分間アニメとして放送。2代目トット役としてバート役の堀絢子さんが参加。再放送248話を含む、548話が放送された。


・1972年:科学忍者隊ガッチャマン』「南部考三郎博士役」


科学忍者隊の生みの親で、彼らを束ねる国際科学技術庁の博士役で出演。

74年までの2年間放送される。多くのちびっ子は南部博士とハクション大魔王が同一人物の吹き替えと気づくことはなく、大人になってから驚いたものである。


ちなみに、燕の甚平を演じた塩屋翼さんは、シンプソンズ・シーズン2『パパとママの恋物語でホーマーの恋敵・アーティ役で出演。また、音響監督ということもあり、大平さんの声優ゼミナールで講師も務められることもある。


さらに脱線してしまいますがガッチャマンの名悪役といえばベルクカッツェ(ドイツ語で「山猫」という意味)。

独特の口調で敵でありながら何故か憎めないキャラクターでしたが、ベルクカッツェ役声優:寺島幹夫さんが「倒せギャラクター」「ガッチャマンの歌」を「ベルクカッツェの歌」として替歌を歌っていました!これは貴重!!



同年、かいけつタマゴン』(タマゴン)


カバトット』の後枠で放送され、1年間放送される。


・1974年:てんとう虫の歌』(岩倉鉄之助)

いなかっぺ大将』同様、川崎のぼるさん原作。
てんとう虫の歌 DVD-BOX 1

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・1976年:ポールのミラクル大作戦』(ベルト・サタン役)

魔王は魔王でもハクション大魔王とは大幅に異なる、残忍な「魔王ベルト・サタン」役で出演。

・1977年:一発貫太くん


主人公一家・戸馳家の犬役「野球十兵衛」で出演。犬だが寛太くんの相棒という人間以上に存在感たっぷりのキャラクターだった。


ちなみに、戸馳家の末っ子・幼吉を演じられたのは、シンプソンズパティ、アグネス役の鈴木れい子さん。
大平さんは同年に放送開始されたヤッターマン65話に鬼役でゲスト出演もされている。
一発貫太くん DVD-BOX 1

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・1978年:科学忍者隊ガッチャマンII』「南部博士役」


前作の大ヒットを受け、続編としてスタート。
科学忍者隊ガッチャマンII COMPLETE DVD-BOX

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・1979年:科学忍者隊ガッチャマンF』「南部博士役」
現時点でのガッチャマンTVシリーズ最終作。


シリーズ後半での南部博士には衝撃の展開が・・・!
科学忍者隊ガッチャマンF COMPLETE DVD-BOX

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ちなみにガッチャマンは1994年にタツノコプロ30周年記念企画としてOVA『GATCHAMAN(ガッチャマン)』として復活。


OVA化にあたり旧作からデザインを一新したためキャストにも変更があり「南部博士」は大平透さんではなく沢木郁也さんが演じられていた。

南部博士もエレガントに!
OVA ガッチャマン [DVD]

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・1980年:とんでも戦士ムテキング』のクロダコブラザーズの長男:「タコキチ」役

堅い南部博士の直後に超ギャグキャラのクロダコブラザーズというギャップの激しさ!


ちなみに、三男のタコサクは、シンプソンズスキナー校長役・青森伸さん。

↑クロダコのテーマはタツノコ名曲ベスト3に入ると言われている。
とんでも戦士ムテキング オリジナル・サウンドトラック

とんでも戦士ムテキング オリジナル・サウンドトラック



・1981年:ダッシュ勝平』

ヒロイン・秋あかねの愛犬「誠一郎」役、二度目の犬役。
ちなみに、秋あかねの元カレ・大場博の声はシンプソンズサイドショーボブ役・村山明さん。六田登さん原作。


・1983年:未来警察ウラシマン』「権藤透」役



機動メカ分署マグナポリス38の創設者。「おやっさん」と呼ばれ、メンバーに慕われている。
容姿はホーマーに近い!?「透」という名前からしてモデルは大平透さんご自身だったのでは?

1984年:OKAWARI-BOY スターザンS』「ダース・ベーロー役」

その名の通り、ダース・ベイダーのパロディで、ロボット族の総統というキャラ。大平さんがダースベイダーをはじめて担当されたのは1989年の「スターウォーズ:VHS版」のため、なんと、ダース・ベイダーのパロディキャラが先行だったという珍しいケース。


ちなみに、『とんでも戦士ムテキング』に続き、この作品にもスキナー校長役の青森伸さんが出演されている。


よろしくメカドック』「神崎周治役」


主人公:風見 潤たちの憩いの場となっている、喫茶店パドック」のマスター。次原隆二さん原作。このキャラも大平さんに似ている。
よろしくメカドック ブルーレイBOX<5枚組> [Blu-ray]

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・2001年:よばれてとびでて!アクビちゃん』「魔王、おとたま校長役」
ハクション大魔王のスピンオフ作品。

本作でキャラクター原案を担当した、吉田竜夫さんの長女・吉田すずかさんは、大平さんに敬意を表して、アクビちゃんが魔王を呼ぶときに使う「おとたま」を、実際に大平さんを呼ぶ際に使っている。また、大平さんのご自宅には、すずかさん直筆のハクション大魔王イラストが飾られている。
よばれてとびでて!アクビちゃん DVD-BOX

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・2006年:アクビガール』(アバンナレーション)

よばれてとびでて!アクビちゃん』に続く、ハクション大魔王スピンオフ作品。魔王は登場しないものの、OP冒頭のアバンナレーションで出演。


・2008年:ゲーム『タツノコ VS. CAPCOM CROSS GENERATION OF HEROESWii版(魔王役)

ハクション大魔王のマジックハンドが大暴走!他のタツノコキャラと熱いバトルを繰り広げる。
タツノコ VS. CAPCOM クロス ジェネレーション オブ ヒーローズ - Wii

タツノコ VS. CAPCOM クロス ジェネレーション オブ ヒーローズ - Wii



・2012年:タツノコ50周年記念作品『一発必中!デバンダー』(キングブル役)

貫禄たっぷりの悪の王でありながら、コメディキャラ的な演技も見ることができました。





その他、CMや広告、パチスロなどでタツノコキャラクターが起用される際にも大平透さんが演じたキャラクターが登場する時は必ず声を担当されている。ここにタツノコプロの義理堅さと作品に対する愛情を感じる。

そして、その中でも特に多いのがなんと言っても
ハクション大魔王


2012年になった今でも花粉のシーズンになるとハクション大魔王のCMが放送されたり、大好物のハンバーグレストランが出来るほど息の長いキャラクターとして愛され続けている。

ハクション大魔王の花粉症アニメ→→http://www.allergy-i.jp/hakushon-movie/index.html



ハンバーグ大魔王ではアノ壺のに入った特製ハンバーグが食べることが出来ました!(写真は当時2012年のお台場店)


タツノコプロの歴史については笹川ひろしさんが、「爆笑問題の日曜サンデー」で詳しく語られています。
また、インタビュー出演として、大平さんからも当時の収録エピソードをお話されていますよ!

ハクション大魔王〔完全版〕 (マンガショップシリーズ 290)

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【追悼】大平透さん伝説エピソード

自分の出演した作品やキャラクターを愛す
大平さんのお部屋には、所せましと出演作品の関連グッズ(ご自分で購入されたもの、お弟子さん・ファンの方々からのプレゼント)が大切に飾られています。ファンクラブでもお誕生日やファン感謝祭の準備の際などにお邪魔させていただいておりますが、毎回グッズが増えているのです!そして、さらに驚くのがズラーッと並んだ、出演作品の台本の数々。昔懐かしい洋画や海外ドラマ、アニメ、戦隊モノ、バラエティ…数えきれない数の台本が保管されています。

どうですか?このグッズの数々!作品に対する愛の大きさがこれを見れば一目瞭然です!ある声優プロダクションの社長さんは、このお部屋を見て、「ここを大平透博物館にしましょう!」と言われたとか!
そんなご自身が関わられた作品のグッズに囲まれながら、その収録当時のエピソードをお話しされる大平さん。


・ファンへの感謝は心から
2008年5月「第1回シンプソンズファン感謝祭」の準備の際、大平さんからサイン会のアイディアをいただきました。よくイベントでサイン会と言えば、先着何名とか、抽選で何名なんていうことが多いのですが、大平さんは「ファンの方、全員に書く!」と宣言。スタッフも(そして企画段階からご協力いただいたほかの声優さんも)大平さんのご負担も考えて、抽選ということを勧めさせていただきましたが「それじゃ、かわいそうでしょ? 不公平でしょ?ある人は貰って、ある人は貰えないんじゃ、とってもかわいそうです。僕は全員に方にサインをしてあげたい!!」と言われ、伝説の来場者500人サイン会が実現したのです。

それ以降開催された3回の感謝祭でも、毎回サイン会をしていただいております(2回目からは声優さん全員によるファン全員サイン会)。ここまでのキャリアのある方が、イベントへ無償で出演される上に、毎回サイン会を開催していただけるなんて、普通に考えるとまずありえないことです!なぜ毎回そこまでのことをしていただけるか…大平さんは作品自体を愛することと同様、その作品を愛する人達のことも愛してくださっているからです。その証拠に、大平さんのお部屋には、ファンの方々から送られたファンレターやイラストが壁に貼られています。
ぜひファンの方々も、大平さんにファンレターなどで感謝の気持ちを伝えてみてくださいね!


声優とは「声」だけに非ず、演技者の「演」は演出家の「演」
大平さんは、演技者の「演」は演出の「演」であるとも考えられていて、声をアテるだけでなく、ご自身の中で考えて解釈してキャラを演出していくことが大切だと語られています。また、声優は命を与える仕事であり、演技者が生き生きしていてはじめて、絵や脚本で生き始めたキャラたちに最後の命を吹き込むことが出来る、というお話も…。

ザ・シンプソンズCCレモンのCM収録では、(TV放送のスタッフは関わっていないため)台本にあったホーマーの口調がいつもと違うため、ご自身で修正されたり、「笑ゥせぇるすまん」収録の際、台本のセリフを修正、元のセリフより格段に面白くされたり(WEBアニメスタイル大地丙太郎さん談)、…ご自身で演出することで、どちらもヒット作になっています!




プロデューサー経験が演技の幅を広げ掘り下げる
1954年、ニッポン放送開局アナウンサー兼プロデューサーとして活躍された大平さん。その当時のプロデューサー経験から、出演者全員の演技のクオリティを上げるため、後輩声優さんにアドバイスをすることも多かったのだとか。例えば、ふり幅が少ないキャラ(スーパーマンや喪黒福蔵)を演じる際には、ある程度ふり幅のある演技が可能なキャラ(脇を固めるキャラ)を演じる声優さんに指導をしたり、台本全体の内容をしっかりと咀嚼してこそわかる、物語の伏線となるセリフをサラッと言ってしまった声優さんには、ここは大切なセリフだから他と変化を付けて演じるようにアドバイスするなど、ラジオのプロデューサー業が声優業でも生かされていることがよく分かります。また、大平さんがよく言われている、「他の出演者を指導することについて何か言われたりしても、それで番組がヒットするなら、それで番組が少しでも良くなら、全然かまわない」というお話も、同様に昔の経験が生かされているのだと思います。


義理堅く、スジを通す
今でも「笑ゥせぇるすまん」「ハクション大魔王」等々…たくさんのCMに出演されている大平さん。その昔は顔出しCMでもお茶の間でお馴染みでした。そんなCMタレントとしてもご活躍された大平さんのモットーは、「自分がCMに出た企業の製品しか使わない」!
例えば…いすゞ自動車のCMに出演された際にはいすゞヒルマンミンクスベレットベレルを愛車に、田辺製薬のCM(30年間出演!)に起用されているときは薬は田辺製薬のものしか飲まない、テイジンのCMに出演された際には洋服は化繊のものしか着ない、などなど…。CM出演したら、その製品を愛用し、義理を通されることを非常に大切に考える大平さんの思いがひしひしと伝わってくるモットーです。また、ご自身と繋がりのある企業がスポンサーをしているスポーツチームが優勝した際などには祝電を贈ったりというエピソードも。

常々、情の通った仕事をしたいと考えられている大平さんは、一期一会を大切に、その企業に関わった人間の1人してこのようなことをしているとお話されています。単に仕事を依頼する側・依頼される側という関係だけではない、ハートのある大平さんの行動はとても素敵ですね!!


テリー・サヴァラス役で丸坊主
テリー・サバラス主演刑事コジャックの日本放映が決まった際、一番初めにTBS映画部から出演のオファーがいったのは、それまでバルジ大作戦など多くの作品で彼の吹き替えを担当された大平さんの元でした。しかし、それには宣伝のためにコジャック同様丸坊主にするという条件が付いていたため、大平さんは断られます。当時大平さんはTBS(毎日放送制作)で毎週土曜朝に放送されていた「八木治郎ショー」における、田辺製薬の生CMに出演していたため、坊主になることは不可能であったのです。



チャレンジ精神で常に新境地を切り開く
大平さん演ずるスーパーマンが大ヒットしたことにより、大平さん=スーパーマンというイメージが視聴者に定着、声優のスター第一号となりました。一方、あまりにそのイメージが強いが故に、時代劇をやっても、悪役をやっても、どこへ行っても「スーパーマン」であると言われるようになります。大平さんはこのままでは他の役が出来なくなる、そう考え、再放送(本放送ではほとんどのお話が生放送であったため、収録しなおす必要があった)の際にはご自身から降板されることに。ここまでのヒット作品をご自身から手放されることは、そう簡単にはできないことだと思いますし、大平さんの演技者としての熱い思いを感じます。
スーパーマン降板の直後にスタートしたのが、「恐妻天国(原始家族フリントストーン)」!


今まで視聴者が観たことのない、大平さんが演じる三枚目キャラは大好評!これがその後長きにわたって続くタツノコ作品への出演のきっかけになったのです。大平さんは、そんな新境地を切り開くキッカケとなったフレッド役も大切なキャラの一人であると語られています。
どれだけ大平さんの三枚目キャラがインパクトがあるかがよくわかるエピソードとして、ヒゲオヤジや2代目バカボンのパパ役で知られる富田耕生さん(シンプソンズ的にはドクター・マービン・モンロー!)は、大平さんの「ハクション大魔王」を観て、「あれ大平ちゃんがやってるの!?俺も頑張らなくちゃ!」と驚かれたのだとか。誰が声をやっているのか視聴者に気づかれないようにするという「声優忍者説」を大切にされている大平さん。同業者の方までも大平さんが演じるキャラということに気づかないのは、まさに大平さんがスーパーマン役から新境地を開き、忍者声優として熱演されたからなのです!


演出をぶつけて喪黒福造役に決定!
サントリー黒烏龍茶でもお馴染みの笑ゥせぇるすまん」喪黒福造。当初、喪黒役は有名な新劇の役者さんに99%決定していたそうですが、プロデューサー1人が「いや、喪黒役は大平さんしかいない!」と言ったことにより、大平さんがスタジオへ呼ばれることに。絵コンテを見て、アドリブで「私の名前は喪黒福造。オーオッホッ」と演じたところ、スタッフのイメージとぴったり一致し、さらには原作者の藤子不二雄A先生も大絶賛!見事喪黒役が決定しました。

いわゆるボイスサンプルというものを作らない主義の大平さん。何種類かの声をパターンを用意してテープを作るのではなく、喪黒役がそうであったようにそれぞれのキャラクターごとに実際の絵を見て、ご自身で演出してキャラ作りを行われているのです!


アメリカのホーマー声優:ダン・カステラネタ、原作者:マット・グレーニングと対面!

2000年、ハリウッドで行われたシンプソンズの世界大会「ザ・シンプソンズ・グローバル・ファンフェスト」に大平さんはなんと自費で参加!3日目のFOX本社をスプリングフィールドの街に改造して行われたイベントでは、特設テントにてアメリカの声優陣とマット・グレーニングのトークライブが開催された。そのライブを当然観ていた大平さんは、ライブが終わるや否や、出演陣の元へ向かい、握手を求めながら一言…「アイム・ジャパニーズ・ホーマー!!」突然のことで状況がつかめないマット・グレーニンも通訳の方から説明され、目の前にいる男性が日本のホーマー・シンプソンの声優だということを知り、「ジャパニーズ・ホーマーが来てくれたぞ!」と大興奮!熱い握手が交わされた!さらにそこにアメリカのホーマー声優:ダン・カステラネタも駆けつけ、日米ホーマーの共演+原作者という、超豪華な3ショットが実現しました。

ダン・カステラネタは自分自身も幼少期に観ていた「スーパーマン」の時代から日本で声優をしている大平さんが、ホーマー・シンプンを演じていることを知り、たいそう喜んだそうです。そして、その光景を見ていたCNN,CBNの取材陣から取材され、更にはエンターテイメント・ウィークリー誌に「Japanese Homer Voice Toru Ohira」と紹介されたのだとか。そのようなニュースもあり、アメリカはもちろん世界中に日米夢の共演が知れ渡ることとなりました。


※「エンターテイメント・ウィークリー誌:entertainment weekly nov17 2000 #569」


世界の巨匠が大絶賛!
世界中で作られる吹き替えのキャスト・内容に特に厳しいことで知られる、ルーカス・フィルム。スターウォーズのアニメ版では、映画版と同じキャラが登場しているにも関わらず、声が映画版収録当時と変わっていないか確かめるため、改めてオーディションを行ったほど。そんなルーカス・フィルム制作のスターウォーズ・エピソード3にダースベイダーが再登場することになり、通常なら日本でも再びオーディション…となるところなのですが、なんと!ジョージ・ルーカス自身から「ダースベイダーはミスターオオヒラがいい!彼が一番だ!」と日本スタッフへ要望が出され、大平さんのみ指名でキャスティングされたのです!本国の監督から直接キャスティングされるということは本当に有り得ないことで、大平さんもとてもうれしかったと話されています。
さらには、あのウォルト・ディズニー本人が大平さんの参加されている「バンビ」わんわん物語を観て、「日本の吹き替えはナンバーワンだ!それは口が合う、合わないだけじゃなくて、ハート=心が入っているから」とコメント。まさに大平さんの心がけてらっしゃる「ハート」の部分も含めてディズニーが大絶賛したのです!


趣味は多彩にして高いレベルを追求、意外な特技も!
書道が得意であり、ゴルフが好きでシングルプレイヤーであり、プロ並みの腕前!また、ゴルフにはお仕事をするにあたっての体力作りの意味もあり、ラウンドを回る体力をキープする目的で、日ごろからウォーキングも行っています。車好きでもあるため、以前から様々な種類の車に乗っており、お仕事やゴルフ、釣りなどに向かう際は、毎回ご自身で運転。そんなドライブのお供は、オフコース。ご自身の低音ボイスとは違う、高い声の小田和正さんの歌声がお好きだそうです。また、大平さんが演じられているキャラ、特にホーマーからは全く想像できませんが家庭的なことにも精通されていて、料理もお得意。大平さん流にアレンジした創作料理のようなものも作られるそうです。さらには、昔からモノ作りが好きな大平さんはミシン、裁縫もお得意でアイロンがけまですべてこなされています!



ダースベイダーの系譜
1989年、日本でスターウォーズ旧三部作がVHS化される際にダースベイダー役に初めてキャスティングされた大平さん。当時の外画作品は、放送局ごとや劇場用、機内上映用など、その都度吹き替えが制作されており、キャスティングも一部のFIX(この作品にはこの人という)声優さんを除いてバラバラなことがほとんど。特に人気の高い作品は吹き替えが放送される回数も多く、同時に吹き替えのバージョンも多く存在することになります。もちろんスターウォーズもそれに当てはまっており、ダースベイダーもそれまでに数名の声優さんがアテられていたキャラでした。大平さんがスターウォーズに初参加されたVHS版が発売されるなり、吹き替えのイメージがピッタリなことや原語版の声優(ジェームズ・アール・ジョーンズ)に声がそっくりなことから、大好評に!

それ以降、日本でダースベイダーを起用したケータイ会社やパチンコ、ゲーム「ソウルキャリバー4」の隠しキャラ、などなどまさにダースベイダーというキャラのFIX声優として活躍されることになります。



ちなみに、大平さんはタツノコプロOKAWARI-BOY スターザンSというスターウォーズのオマージュ作品で、ダースベイダーのパロディキャラ:ダースベーロを演じられていますが、これが放送されたのが、1984。つまり、まだ大平さん吹き替え版のダースベイダーが誕生していない時代ということになります。パロディキャラ先行で、後に本家のキャラも担当されるという非常に珍しいパターンで、ダースベーロ役にキャスティングしたタツノコプロには未来が見えていたのかも!?



ビートたけしとの再会
1984年、当時大人気だった「俺たちひょうきん族のワンコーナータケちゃんマン。そこに登場するタケちゃんマンロボのテーマ曲である愛より強くにナレーターとして参加された大平さん。


収録の際、楽屋で待機されていた大平さんの元にある人が挨拶にやってくる…その人は、今や映画監督としてもお馴染みのビートたけし!芸人としての下積み時代(1970年:23歳)に通産省前のガソリンスタンドでアルバイトをしていた際、大平さんが運転する外車にガソリンを入れたというエピソードを披露したそうです。今や日本のお笑い界の大御所としてお馴染みのビートたけしさんが下積みをしている時代に既に大活躍していた大平さん。

※ハリウッド俳優?ヤング大平さんです!身長180センチ!足長!!
大平さんの芸能生活60年がいかに長く、そして業界の第一線で活躍され続けているかがよく分かる、貴重なエピソードですね!


・外画(海外動画)とアニメの声優演技論
大平さんは、外画の吹き替えは向こうの役者とともに演技する作業で、アニメのアフレコは絵と脚本によって生き始めたキャラに最後の命を与える作業であると語られています。外画の場合は、向こうの役者と息を合わせながら演技を行うため、生き生きとした演技の基礎が学べるものである、と大平さん。向こうの役者とともに演技すると言えども、普段英語の音声を聞いている人が、日本語の音声を聞いて、「合っていない!」と言われたとしても気にする必要はなく、日本語の世界でキャラを完成させることが、吹き替えにおいて大切なことであると言われています。そうお話されている大平さんもたくさんの外画キャラを現地の役者の声ソックリに演じられてらっしゃいますが、大平さんはそれ以上に、「ハート」が入っていることが重要であるのだと考えられているのです!


来る者は拒まず。テスト無しのゼミ入学。
大平さんの声優スクール「大平透声優ゼミナール」は、入学に際してテストは行われず、小論文の提出のみ。しかも、それで落とすことはなく、来る者は拒まずというスタイル!しかも、卒業もなく、年齢制限もありません!やる気のある人たちに平等にチャンスが与えられるように考える大平さんは、30年間この形式を貫き通されていらっしゃいます。先生・生徒の関係ではなく、親・子供という関係でお弟子さんたちに熱い魂で指導をされています。
※現在、基礎科新規生の募集は行なっておりません

大平透声優ゼミナールについては2009年の「大平透さん80歳お誕生日」の記事にも記載があります→http://d.hatena.ne.jp/simpsons333/20090923#p1


若き未来の声優たちのために道を切り開き続ける
大平さんは声優さんとして今でも現役でご活躍されている一方、若き声優さんたちのために声優の地位向上を目指す活動も行っていらっしゃいます。日本俳優連合では副理事長を務められており、日俳連の前身となった日本放送芸術家協会(1963年設立)の設立発起人メンバーとして参加されてから現在に至るまで、外画の再使用料問題の解決に向けて尽力されるなど、多くの活動をされています。また、それに加えて今から数年前に設立された日本声優ユニオン執行委員長も務められています。もちろん、すべてボランティアとして活動されているものです!大平さんは、業界に恩返しするため、後輩のため、お仕事に加えてボランティア活動も行っていると語られており、83歳になられた今でもお忙しい毎日を送られているのです。


情に厚く:チームは大切な家族
大平さんがハクション大魔王ガッチャマンなどタツノコプロの作品に出演していた時、現在のようなPCなど便利な機材は存在しておらず、機械でコピーをしても上手くフィルムが作製できないため若いアニメーターの人たちがタツノコプロのアニメスタジオ(畑のど真ん中の工場※大平さん談)で一枚一枚全て手書きでアニメのセル画を書かれていました。当時のアニメ1話をつくるのにセル画を5000枚以上描いていたそうです。

(※1965年のタツノコプロのアニメスタジオ)
大平さんは『毎週苦労して絵を書いている作画現場の(アニメーターの)人達は、自分が描いた絵をどんな人が演じているのか見たいのではないか?逆に我々(音声現場)も誰がどんな苦労をして毎週絵を描いてフィルムを作っているか知らない・・・・・。』と思い立ち、
役者さんら音声側スタッフ20〜30人でタツノコプロの作画現場まで出向き、生まれて初めて自分たちのキャラクターの絵を作っているところを見学し、スタッフ全員で熱いミーティングをおこなったそうです。


ミーティング終了後、みんなで食堂の昼メシを一緒に食べて懇親会を開き、作画スタッフは自分が描いた絵に声を吹き込んでくれる役者さんに初めて会い「私があなた(のキャラクター)を描いています」と素晴らしい出会いに感激し絆を深めあったそうです。


歴代のタツノコ作品に大平さんがキャスティングされ続けた理由には、演者としての価値だけではなく、若き役者やスタッフ達の家族の長として座長としての大きな存在もあったのだと思われます。それはシンプソンズファミリーも同様です。


・『人生は動く、動かすのはあなた自身』
滋賀県・大津にある円満院で行われた金の仏像の開眼式で司会を務めた大平さんが、御門跡様からいただいたお言葉だそうです。
このワードを大平さんはとても大切にされており、ご自身が役者をやりたい!悪役がやりたい!と思い、放送劇団に入団されたように、みなさんにも自分の意思で心とともに動き出してほしい、という思いから使われているものです。とっても素敵な言葉ですよね!

(※大平透声優ゼミナールにて撮影)




◎大平さんが演じたキャラクターを系統別にジャンル分け!(ほんの一部です)
【シリアスキャラクター】
「スーパーマン


「南部博士(ガッチャマン)」



【帝王キャラクター】
「ゴア(マグマ大使)」

「ダースベイダー」

「ベルトサターン(ポールのミラクル大作戦)」

「皇帝バッカスフンド(超力戦隊オーレンジャー)」

「聖総統スカルダート(ヤマトよ永遠に)」

徳川家康(バジリスク甲賀忍法帳)」

「キング・ブル(一発必中デバンダー)」



【コメディキャラクター】
「フレッド(原始家族フリントストーン)」

「グズラ」

カバトット

ハクション大魔王

「黒ダコブラザーズのタコ吉(とんでも戦士ムテキング)」

「ホーマー・シンプソン」

「喪黒福造」

「デカパン」



【ナレーター】
スパイ大作戦(指令の声)」

「ゴレンジャーなど東映特撮番組ナレーター」
「映画:ルパン三世念力珍作戦(実写)で大ボスの声」


【犬】
調べてみたら意外と多かった!ある時はユーモラス、ある時はボスの貫禄。
「野球十兵衛(一発貫太くん)」

「誠一郎(ダッシュ勝平)」

「ピート(ディズニー作品)」

「ボリス(わんわん物語)」

「The Mastiff(Cats & Dogs)」





・伝説はまだまだ続く!!
下のイラストはシンプソンズファンクラブから大平透さんにプレゼントしたイラストです。

大平さんと演じられた代表的なキャラクターです!
83歳&芸能生活60周年を迎えてなお大平透さんは現役声優です!!

(画:とりみき さん)

【追悼】大平透さんの秘蔵写真!!

先日、大平さんのお誕生日でご自宅にお伺いした時、大平さんから秘蔵のお写真をお預かりしました。大平さんから特別にブログ掲載のご許可を頂きましたので公開させていただきます。貴重な写真の数々をご覧ください!


1929年(昭和4年)・・・今から84年前のべビー大平透さんです!

こんなにちっちゃい赤ちゃんがあんなに大きなスーパーマンになるとは!


ヤング大平さん!

ハリウッド俳優顔負けの2枚目路線!

20代後半くらい?


1956年(昭和31年)2月11日放送

テレビドラマ「日眞名氏飛び出す」(レインコートの女_殺人犯人元プロレスラー川島役)


1957年(昭和32年)の超貴重映像

スーパーマンの生放送の風景!!


1960年(昭和35年)

後楽園遊園地のジェットコースターにて。一緒に乗っているのは大平さんのお子さん!


雑誌の正月企画にも大平スーパーマン

当時のスーパーマン・フィーバーは物凄かったらしく、最高視聴率74.2%!!今でもハクション大魔王を知らないご年配でも「大平透」と聞けば「スーパーマン!」とこたえる程。


1963年(昭和38年)

海外ドラマ「スカイキング」のアフレコ中(カービィ・グラント役)


1966年(昭和41年)〜1973年(昭和48年)

スパイ大作戦も大ヒット!おはようフェルプス君!このパソコンは自動的に消滅する!


一緒に映っているのは外人女性プロゴルファー?

大平さんはゴルフの腕前はプロ級。今でも毎週のゴルフと体力づくりのウォーキングは欠かしません!スーパーマンは努力もスーパーマン



そっくりなヌイグルミを抱く大平さん。50代後半くらい?


【追悼】シンプソンズファンクラブからホーマー:大平透さんへのメッセージ


ぼくたちにとって、大平透さん:ホーマーの日本語吹替え版ザ・シンプソンズは世界最高の作品でした。
大平透さんがシンプソンズファンに「感謝祭を開催したい」と声をかけてくれたお陰でシンプソンズファミリーの声優さんや何千人ものシンプソンズファンと出会うことが出来、ファン感謝祭やファン交流会など、たくさんの友達と思い出ができました。

大平透さんが作品を愛する気持ち、声の演技を大切にしてきた想い、ファンへの愛情を宝物として一生忘れることはありません。

大平透さん、本当に本当にありがとうございました。  〜シンプソンズファン一同〜

【追悼】大平透さん特集の協力&参考資料

この度の【追悼】大平透さん特集にあたり、様々な方の著書物やご協力を頂きましたことを御礼申し上げます。
◎協力&参考資料(順不同)
大平プロダクション:http://www.ohirapro.com/ohira.html
とりみきの映画吹替王
・声優アルカディア(2009年1月)
声グラ「声優道」インタビュー:
http://seigura.com/senior/road/road_detail/tabid/73/pdid/ohira/Default.aspx
小原篤さんインタビュー:
http://www8.ocn.ne.jp/~toshi/simpson.htm
朝日新聞(夕刊)「ザ・シンプソンズ ホーマー役・大平透さんに聞く(2002年4月26日)」(ライター:小原篤さん)
朝日新聞サザエさんを探して_スーパーマン(2007年10月27日)」(ライター:保科龍朗さん)
アニメージュ「ANIME CONVENTION REPORT IN THE WORLD アメリカ編」
・雑誌誌名分からず「アメリカンスタンダード200の夢 ザ・シンプソンズ 放送200回に寄せて」(ライター:水民玉蘭さん)
※下の画像です雑誌名の情報求ム!!

・WEBアニメスタイル「ベテラン声優に花束を」:
http://www.style.fm/log/02_topics/top050128.html
映画秘宝シンプソンズ国際ファン大会(2001年5月号)」(ライター:池田敏さん)
映画秘宝シンプソンズのすべて(2007年12月号)」(ライター:池田敏さん)
・Behind The Voice Actors:http://www.behindthevoiceactors.com/Toru-Ohira/
タツノコプロ展図録(TATSUNOKO PRO.EXHIBITION)
・イラスト&エピソード提供:漫画家吹替え研究家とりみき さん
・写真&エピソード提供:アメリカ映画TVライター池田敏さん

別冊映画秘宝 とり・みきの映画吹替王 (洋泉社MOOK)

別冊映画秘宝 とり・みきの映画吹替王 (洋泉社MOOK)