シンプソンズ・ファンクラブ・ブログ

「ザ・シンプソンズ」を日本で広めるために日本語吹替版のエピソードガイド、グッズを買えるお店の紹介、大平透さん使用のアフレコ台本の研究、等々を掲載しています。

【追悼】大平透さんスーパーマン伝説!

大平さんが放送劇団に入団されたその年(1955年)の10月から、KRT(現・TBS)で放送開始となったのが、マックス・フライシャーによるアニメ「まんがスーパーマン。これが日本の吹き替え第一号と言われている(アテレコ第一号は「テレビ坊やの冒険」、外画吹き替え第一号は「カーボーイ・Gメン」で、どちらも56年放送)。


当時、海外ドラマはNHKでは字幕版、日本テレビでは録音版で行われていたが、KRT(TBS)は動画と録音のタイミングにズレが生じることを嫌い”生放送を生吹替え”していた。このため、「まんがスーパーマン」には大平さんの吹替え音源が存在しない。


英語版OPはこちら

(ダイソーでもDVDとVHSは売っています。ただし、吹替えは大平透さんではありません。)


「まんがスーパーマン」はフライシャー・スタジオ:Fleischer Studios(後にフェイマス・スタジオ:Famous Studios)によるもので、「フライシャーのスーパーマン」の通称で呼ばれる。


「まんがスーパーマン」で大平さんは、クラーク・ケント、スーパーマン、編集長、ジミー・オルセンロイス・レーンという、レギュラーキャラだけでも5役を、しかも女性役まで生放送ですべて演じられた


大平さんの記憶によると、日本に届いた「まんがスーパーマン」は全13話だったが、その中にはスーパーマンが日本軍と闘う話しが入っていたため放送を見合わせ、それを除く12話が放送された(これは「フライシャーのスーパーマン」が太平洋戦争まっただ中の1942制作であったため)。


【Japoteurs:新たな敵の出現 (1942)】

日本人のスパイがアメリカの爆撃機をハイジャックして東京に持ち帰るのをスーパーマンが阻止する話。


【Eleventh Hour:ギリギリの救出劇 (1942)】

日本の横浜(横須賀ではない)にある海軍基地に捕らえられたロイス・レーンを救うためスーパーマンが日本軍と闘うエピソード。軍艦を海に引きずり込んで沈めるシーンは圧巻。


「フライシャーのスーパーマン」について詳しくは→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3_%281940%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%E6%98%A0%E7%94%BB%29


そして翌年の1956年(昭和31年)、実写版のドラマシリーズ「スーパーマンの冒険」(主演:ジョージ・リーヴス)が日本に上陸。「弾よりも早く、力は機関車よりも強く、高いビルディングもひとっ飛び!…」は、あまりにも有名なオープニングである。




アニメに続き、このドラマ版にもクラーク・ケント/スーパーマン役として大平さんが起用され、放送が開始されるや否や日本でも爆発的にヒット!最高視聴率74.2%を記録するおばけ番組になり、最終回が放送された1960年までスーパーマンフィーバーが続くことになる。この際には、大平さんが5役ということはなくなったが、もちろん生放送での吹き替えであった(番組の生CMでは、大平さん自らスーパーマンの仮装をして宣伝を行った)。



番組後期になると生放送から録音に切り替わるものの、技術面の問題とテープが高価であったため途中で切ることが出来ず、セリフをとちってしまった場合にはまた頭から撮り直し、という録音スタイルであった。
まだテレビが高価で一般庶民には手が出なかった時代、力道山の試合、金語楼劇場・おとらさん、そしてスーパーマンの時間には銭湯からお客が消え、駅前広場の街頭テレビは人で溢れかえり、ヒーローの活躍を皆で応援した。そんな大平さんのスーパーマンがあまりにピッタリであったため、田舎のおばあちゃんが「最近の外人さんは日本語が上手だね〜」と話していた、というエピソードが大平さんの耳にも入ってきたのだとか。また、スーパーマン役の俳優・ジョージ・リーヴスが突然亡くなった際には、大平さんの元に大量の弔電が届いたそうだ。


ここまでの大ヒット番組となったスーパーマン、本家でスーパーマンを演じた俳優ジョージ・リーヴス同様、大平さん自身もどこへ行ってもスーパーマンと言われ続けることに悩み、自分のこれから可能性を広げるために再放送の出演を断りスーパーマン役を自ら降板した。


【スーパーマンの危機(残念ながら吹替えは大平透さんではない)】



しかし、それがいわゆる声の出演が増えたキッカケでもあったそうで、後に大平さんは、素晴らしい作品にブチ当たることのできて物凄くラッキーであると語っている。


ドラマ版の放送が終了してから20年が経過した1978年(日本では1979年)には、クリストファー・リーブ主演による映画版「スーパーマン」が公開され、こちらも大ヒット!1983年の地上波放送(日曜洋画劇場)の際には、マーロン・ブランド演ずるスーパーマンの父:ジョー=エル役を大平さんが吹き替えされた。

また、1979年日本で劇場版「スーパーマン(主演クリストファー・リーブ)」公開時に、キングレコードから発売されたTVドラマ版「スーパーマン(ジョージ・リーブス)」のレコードには、大平さんが再びあのTV版のナレーションを吹き込んだ音声が収録されている。


↑内ジャケットにはインタビュー記事も!詳しくは「クラウドベース(スペクトラム基地)を作ろう」さまのブログをご覧下さい。→http://blog.livedoor.jp/godzitoraman/archives/1232427.html?1348686119#comment-form



第2回・4回シンプソンズファン感謝祭の際、大平さんの胸元には、お馴染みのスーパーマンマークのバッジが輝いていた。

このことからも分かるように、大平さんにとってのスーパーマンは特別な存在なのである。